SSブログ

映画「杉原千畝 スギハラチウネ」 [映画]

12月16日(水)

映画日記続けちゃいます。
ブルク13で観てきました。
poster2 (3).jpg

杉原千畝 すぎはらちうね、映画の中で外国人には「センポ」と呼ばせています。

ウィキペディアから。
杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年(明治33年)1月1日 - 1986年(昭和61年)7月31日)とは、
日本の官僚、外交官である。
第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、
ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。
1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、
およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。
その避難民の多くが、ユダヤ系であった。「日本のシンドラー」などと呼ばれることがある。 
早稲田大学高等師範部英語(教育学部英語英文学科)科予科中退、日露協会学校特修科修了。

ウィキにもあるように、
リトアニアでの外交官時代に政府の許可なしに、
たくさんの日本通過のビザを発行した実在のヒトの映画です。

ポーランド等でのナチス・ドイツの迫害から逃れてきた大勢のユダヤ人たちが、
このビザのおかげで救われます。
政府の決定にさからって、自分の信念で判断をした。なんてスゴイこと。

そのビザで日本行きの船に乗るためにシベリア鉄道でウラジオストクについた難民。
日本政府はどんどんやってくる難民に困惑し、
行先国に入る手続きが終わっていることを証明する書類を提出させてから、船に乗るの許可を与えることと、
ウラジオストクの総領事館に厳命するのですが、ウラジオストク総領事代理の根井三郎は
それに抗議し、本来漁業関係者にしか出せない日本行きの乗船許可証を発給して難民を救済します。
(一部ウィキペデァから)

この場面も映画に出てきます。
映画では船に押し寄せる難民に旅行会社の担当の大迫辰雄(濱田岳)がもう乗せられないと断るのですが、
根井三郎(二階堂智)に呼ばれ、あなたは難民についてどう思いますが、と聞き、
大迫は本国の指示に従うべき、ただ、難民の中に子供を見て、自分の子供を思い出しました。
ワタシは難民を救いたいです。という場面、
二階堂智さん、濱田岳さん、よかったです。

こんなカッコいい人たちが本当にいたんですね。

また、ビザの件だけじゃなくて、千畝はソ連とドイツの状況のスパイ的な仕事もしていて、
独ソ戦が起こることを予測、そうなると日本がアジア進出のためにアメリカと戦争しても
ドイツの支援なく負けるだろうと、本国へ報告するも、何も変わらず、
予測どおり敗戦をむかえます。

映画の最後のほうで、千畝がリトアニアに行く前に、
一緒に仕事をしていたロシア人の女性から手紙をもらのですが、
そこに「センポ、ワタシはあなたにあやまらなくてはいけないことがあります。」
リトアニア時代に彼女からたのまれたひとりのユダヤ人にもビザを出していました。
その彼は、ユダヤ人研究者で、研究者たちは、日本を経由してアメリカに渡ると
ただの研究を続けるには行かず、アメリカ政府に従わざるをえなかった。と。
この後に続く説明は無いのですが、分かりますよね。。
この辺は事実はどうなのか、映画だけの話かもしれません。

さすがに教科書で習う程度の歴史は知らないと、分からないところもあると思いますが、
いい映画でした。
DSC_0655.jpg
タグ:ブルク13
nice!(10)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

nice! 10

コメント 3

achami

コレも「見るといいかな」リストに入ってます^^
by achami (2015-12-18 10:33) 

lovin

achamiさん、
これはぜひ観てください!!
by lovin (2015-12-18 10:35) 

うつぼ

この人、尊敬しているんですが、唐沢に小雪、、、、、なので
どうしようかと思って。。。
これはきっとDVDかな。

by うつぼ (2015-12-19 09:05) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0